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【デザイン集団】アーキズーム
「わからなくなってきました」と「知りませんでした」
中山博美

すっかり宮沢章夫を自分となぞらえてしまい、宮沢さんがその道を右に曲がれと言えば、私はきっと右を意識するだろうし、宮沢さんが今、箸を置けと言えば、私はきっと箸を休めるだろう。

【デザイン集団】アーキズーム_f0015110_23331469.jpgいつしかBOOK-OFFにて100円で購入した宮沢章夫著『わからなくなってきました』(新潮文庫)をようやく読めば、そこで繰り広げられる宮沢ワールドから抜け出せない。別役実が言うところの「ホップ・ステップ・ジャンプ方式」。いきなり、その世界に引き込むのではなく、助走は読者に委ね、踏み込ませたら脈ありだ、ステップ踏ませて、最後は完全に引き込んでいく。そう、この私もまさに、宮沢章夫に「ハメられるべくして、ハメられた」のである。

【デザイン集団】アーキズーム_f0015110_23415958.jpg宮沢章夫は、静岡出身で大学進学のために上京をする。かつては、多摩美術大学建築科の学生であり「建築家になりたかった」彼は趣味の読書として建築関連の書物を読む。そこで、本の中で、彼のお気に入りの建築雑誌『SD 1974年9月号』(鹿島出版会)を紹介しているのだ。

これは、手に取らない訳にはいかない。すぐさま、会社の資料室で探し当て、30年以上前の雑誌を傷めない様に開いてみた。特集は「アーキズーム」の全仕事である。「アーキズーム」は、「アーキグラム」をもじったイタリアのデザイン集団。そもそも「アーキグラム」がわからない人のために書くと、アーキグラムは1960年代、メタボリズムと同時期に結成されたイギリスの建築集団で「可動」や「増殖」をコンセプトに様々なプロジェクトをグラフィックの領域にまで渡って提示することを試みた集団である。

そのアーキグラムをパロった集団が「アーキズーム」なのだが、彼らの「ナンセンス」さには「センス」を感じてしまう。結成は1964年、作品発表は1966年から始まり、作品は家具のデザインから市街計画、大阪万博でのイタリア館パビリオンなど多岐に渡る。

この多岐に渡る活動には、彼らの一つの方針が見え隠れする。様々なジャンルで活動することによってどの分野を専門的にしているのかわからなくなってくるのである。そして、彼らは敢えてどの分野でも素人として振る舞って行くのである。そう、「わからない」は強い。プロになると、だんだん<モノ>を既成概念で観てしまうようになり、行き詰まりを生んでしまう。それはとても恐いことで「発想」で食っているものとしては命取りなことなのだ。

敢えてバカを買う芸人の様なナンセンスさにグッときていたら、とある仕事を見つけて開いた口がふさがらなくなった。1973年にドレス・デザインをしているのだが、そのシステム・プランが1999年にとあるファッションブランドが行なった展開とそっくりなのだ。

まず、アーキズームが唱えるドレスをここに記してみる。
われわれのドレスにとって、まず、必要なエレメントは、布地が一巻きの布であること、いいかえれば単純な方形の布という条件にあるということである。理論的にも、この状態の布が、もっとも多様で無駄のない使用ができるし、どのような幾何学的な形態の要求にも対応できるからである。…(中略)…時に応じて最小限度のハサミを入れることによって成り立っている…(中略)…ただの方形の布とハサミ、それに若干の糸と針。そして、ドレスの装飾的な配慮といえば、縫糸の色を効果的な縫い目に生かせば、それで充分すぎるほどというのが、このドレスの特徴である。
これを読めば誰しもがイッセイ・ミヤケの「A-POC」を思い浮かべるのではないか。イッセイ・ミヤケは「アーキズーム」の仕事を知らずにこのブランドを立ち上げたのだろうか。それとも、オマージュ的に行なっているのか。私は、イッセイ・ミヤケの側近でも何でもないので細かいことは何もわからないし、知らない。
【デザイン集団】アーキズーム_f0015110_2348129.jpg
「わからない」も強いが「知らない」も強い。
ちなみに、「『知ってない』ことを知らない」のはもはや最強だ。
by dog06 | 2007-05-13 23:58
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